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「長時間労働と心の病の関係」

ブラック企業で長時間働き、うつ病になってしまう。

これは誰もが避けたいことですが、現実には頻繁に起こります。

現に管理人の知人も就職活動に失敗をし、ブラック企業にしか就職できず、長時間労働によって心身に異常がきたしました。

実はこの長時間労働により、心身の健康を失うというのはブラック企業では働いているとよく起こります。

とはいえ、ブラック企業の労働環境の実態を知らないと心身の健康を失うと聞いてもピンと来ないと思います。

そこで今回はブラック企業に入社し、重度のうつ病になってしまった管理人の知人の体験談をご紹介しようと思います。

最後まで目を通しますと、ブラック企業の長時間労働の実態や心が病む前に逃げるべき会社の特徴が分かります。

就職活動に失敗して就職難民に

私は大学を卒業しましたが、就職活動が思うように進まず、一体自分の本当にしたい事が何なのか分らないまま何となく面接を受けていました。

当然、何百人も面接をされている面接官の方からすれば、モチベーションの無い人間など簡単に見抜かれてしまい、就職先が決まらないまま卒業を迎える事になりました。

しかし食べていかなければならないので、学生時代からのアルバイトを二年ほど続けながら、自分のやりたい事を毎日のように考える日々を送っておりました。

そうこうしている内に、ふと、建設業に関心を抱くようになっていきました。

汗水流して必死に建物を建て、出来上がった建物が最終的には多くの人々の利用してもらえる点に大きな魅力を感じるようになりました。

建築業界の現場作業員に見事採用

建築業界には色々なポジションがありますが、色々とある中で私が興味を持ったのは、もの作りの最先端である現場作業員です。

そこで、当時住んでいた最寄りのハローワークに通い、東京都内で入寮制度のある募集に限定して求人を探していました。

その中で、ある中小企業(社員数は7人ほどです)の求人に興味を持ち、応募して面接を受けたところその場で採用されました。

当時まだまだ社会というものを知らなかった私は、「これはきっと良い会社なんだ」と信じて、安易に入社してしまいました。

当初はやりがいを感じていた

その頃は都内で小規模なビルの工事を行っており、私はその現場で作業をする事になりました。

現場作業員は朝が早く、しかも私は新人ですので、現場には必ず朝7:30には着いて現場前の掃除やその日に使う道具の準備などをしていました。

工事現場のビルには地下が有ったため、最初は地下のスペースを確保する為の土木工事から始まりました。

一日中、ショベルカーと一緒にスコップで穴を掘ったり一輪車で土を運び出したりと、それこそ大変な肉体労働でした。

最初の一週間は、疲労のために昼食もまともに食べられなかった程です。

しかし、自分は今実際に建物を作っているんだ、という誇りを感じていたため、現場作業は苦ではありませんでした。

徐々に労働環境が悪くなる

普通、現場作業員は朝は早いものの、午後5時にはきっちりと作業が終わることが多いです。

業務終了後は直帰するか、場合によっては会社に戻って業務日報を書いて退社する、といった具合です。

幸せな日々は続かない

初めの一週間ほどは私もそんな具合で寮へ帰っていたのですが、それは長く続きませんでした。

雲行きが変わったのは、ある日、いつものように帰宅しようとすると、社長から呼び止められたときからです。

その社長によると、「お前は建築業界に入ったのも遅いし、これから覚えなくてはいけない事も山ほどあるはず。なので、現場作業だけして帰ります、というのは違うぞ」と言うことでした。

これに関しては、確かにそうだなと当時の私も納得しました。

そこでその日から現場作業を終えた後に会社へ戻り、会社のホームページの更新や図面の勉強、さらには受発注書の作成や事務なども担当するようになりました。

その結果として7:30から17:00まで現場で重労働をした後、会社での仕事を24:00まで行う日々が三カ月続きました

必死の頑張りが自分を苦しめる

当時の私は、「確かに自分には全く知識も技術も無い、遅れてこの業界に入ったのだから、人の2倍は努力しなければ」と思い込んでいたので、必死でした。。

そんな必死な状況でしたので、雇用契約書に記載された労働時間や残業代の事などには全く考えが及ばず、ただひたすらに毎日の仕事と勉強をこなしておりました。

その努力が評価され、入社して三カ月経ったところで、正社員として改めて雇用契約書を交わすことになりました。

これはうれしかったのですが、今度はいきなり現場監督まで任されることになり、さすがにそれは自分に荷が重いと感じるようになりました。

社長がやばい人だと気づく

これは正社員になって二日目に気付いた事なのですが、社長の左手の薬指が無いのです。

まさか…と思っていた矢先に、社長から名刺の整理をするように言われ、大量の名刺を整理していると、驚愕の事実が発覚。

なんと整理を任された名刺の中からは、次から次へとヤクザの組長だの若頭だのといった名刺が出てくるのです。

その時、完全に社長は極道の人間だという事を悟りました。

その恐怖感もあって、社長からの命令には逆らえず、やむなく現場監督に就くことになりました。

しかし、たかが三カ月間、現場作業をしただけですので、監督など出来る訳がありません。

社長はいきなり私一人で現場を管理させる考えだったのですが、ある上司の方が間に入って下さって、先ずは監督見習いとしてその上司の方と一緒に現場を回りながら監督としての仕事を覚えていく、という形になんとか落ち着きました。

無茶なプロジェクトで赤字をたたき出す

そうして三カ月ほど経った頃に、業を煮やした社長が「もういい加減、独り立ちしろ!」と怒鳴り、結局私は未だよく分からないままに、ある現場を任される事になりました。

赤字の責任を押し付けられる

その現場の竣工後、監督は現場の収支を出さなくてはいけないのですが、当然大赤字でした。

これは、後から分かった事ですが、その現場の予算はどう頑張っても予算内に収まるはずが無く、各発注も全て社長の承認を得て行っていましたので、本来は社長側にも大きな責任があったのです。

それにも関わらず、「赤字を出して建てる事ぐらい、バカでも出来るわ」と壁を思いっ切り蹴飛ばしながら散々怒鳴り散らされました。

本当に殺されるかと思いました。

この時から、絶対にこの会社はおかしい、いわゆるブラック企業と呼ばれるものなのではないか、と思い始めました。

常識に縛られて逃げられなかった

事実、当時の私の会社はこの記事でまとめられているブラック企業の6つの特徴のほぼ全てが当てはまっておりました。

6つのブラック企業の特徴とは?

しかしながら、「新入社員は最低でも三年間は同じ会社で働かないと、次の就職が難しい」という社会の風潮を安直に信じて、より一層、仕事に全てを捧げるようになっていきました。

今思うと、入社当初からマインドコントロールされ、完全に会社の奴隷になってしまっていたのだと思います。

担当業務がどんどん増えていく

ようやく現場監督の仕事に慣れてきた頃、今度は設計課の人員不足のために図面を書いた事も無いのに設計まで担当することになりました。

安請け合いは地獄の始まり

当時はまだ私も若く、気力・体力ともに充分ありましたので、なんとそれを引き受けてしまったのです。

それにCADを扱う事が出来れば今後の転職にも有利だとの考えから、設計課の業務も担当することになりました。

しかし、ただでさえ人員不足の中、図面に関しては全くの素人が入ってくる訳ですから、上司も手取り足取り教える余裕などある筈が有りません。

そのため、「お前には一度しか教えない。同じことは二度と聞いてくるな。一ヶ月で図面を書けるようになれ。」と無茶苦茶な事を言われました。

独学を強要される

焦った私は必死で勉強し、同じ事を聞いてしまわないように必ずメモを取り、CADの入門書を買って夜中の3時4時までひたすら練習を続け、日曜・祝日も必ず会社に出て勉強しました

そうして何とか、時間は掛かるものの一応の図面らしきものは書けるようになり、設計としての業務をこなす日々が始まりました。

業績の向上で際立つ人手不足

幸か不幸か、会社の売り上げも伸び始め、着工現場数も増え始めてきましたが、依然として社員は一向に増えません。

当然の事ながら、一人ひとりの負担は増えていきます。そこからが真の地獄でした。

サービス残業の嵐

設計課は、朝は遅めで、10:00出社なのですが、毎日0:00を過ぎるのは当たり前。2:00退社ならマシな方でした。

大抵は朝4:00退社が殆どで、ひどい時は6:00退社、あるいは会社に泊まることもしばしばありました。

平均すると月の残業時間は200時間、ひどい月だと300時間近くになった事も何度かありました。

しかし、残業代はびた一文も貰ったことがありません。

その事に対し、流石に頭に来た私たち社員は社長と直々に交渉を重ねましたが、その結果は「固定残業代」というものでした。

これは名ばかりのものに過ぎず、それまでの月給を基本給と固定残業代に分けただけのもので、給料は一切変わっていないのです。

労基署への相談を考える

もうここまで来たら労基署だな、と思い、最寄りの労基署へ相談に行きました。

すると、担当者の話では、「それは相当に悪質ですね。未払いの残業代に関して訴訟を起こす事も可能ですが、それ相応の覚悟と労力と時間が必要になってきます。

それに必ずしも満足出来る金額を勝ち取ることが出来るとは限らないし、お互い遺恨が残ることになりますよ」と言われました。

この話を聞き、極道の世界の社長なら何をしてくるか分からない、との恐怖感もあり、訴訟は控えました。

地獄のクレーム対応の日々

そうして我慢をしながら設計業務を続けていたところ、今度はクレームやアフターサービスの方を担当しろ、と命令されました。

既にそれまでの激務で心身ともに限界まで達していた矢先に、クレーム対応という更に追い討ちをかけられました。

正直な話身が持たないのは分かっていましたが、疲労からまともな判断が出来ず、安易に引き受けてしまいました

クレーム対応と言っても簡単な案件ではなく、よりにもよって今まで社内の誰もが解決出来ずに放ったらかしにして置いた案件ばかりで、行く先々でまずは土下座から始まり、罵倒の嵐を受けます。

それでも諦めずに何度もお伺いしては無理難題を吹っかけられ、そうしてようやく信頼関係を築いた後にアフターサービスを行なわせて頂く、という事を毎日繰り返していました。

無理が重なり心が壊れる

そうこうしている内に、気合いで乗り切ることの出来る限界を超えてしまい、心身が根底から崩壊してしまいました。

うつ病の診断をもらう

具体的な症状としては、頭では次の現場に行かなければ、と思っているのに、体が動いてくれないのです。

その内、冷や汗が出てきて体がブルブルと震えてきます。

昼食を取ることすら出来なくなり、夜も眠れなくなっていき、身長が184cmなのですが体重は54kgまで落ちました

さすがにこれは異常だと思い、ある日の午後、会社に一報を入れて午後の仕事を休ませてもらいました。

そしてそのまま近くのメンタルクリニックに駆け込んだところ、下された診断は「重度のうつ病」でした。

うつ病でほっとする

不思議なことに、そう聞かされた瞬間、ホッとした自分がいました。

医師に、「お辛かったでしょうね」と言われた時、ブワッと涙が溢れ出てきた事は今でも忘れられません。

その後、医師に診断書を書いて頂きました。

そして、「これを持って明日、会社に行って、医師にうつ病のため最低でも三カ月は休職して安静にしなさい」と言われました。

休職が認められず症状が悪化

その通りにすると、社長は「完全に休職する事は認められない、最低でも週に二日は出社しろ。お前の他には引き継ぎ出来る人間がいないのだから、何があっても電話には必ず出ろ。そうでなければ給料は支払わない」との返答でした。

お金がないと休めない

当時の私は安月給で残業代もボーナスも無かったため貯蓄が無く、生きていくためには社長の言うがままにするしか選択肢は有りませんでした。

そのため、形の上では休職扱いなのですが、電話は鳴り止まず、その度に対応せざるを得ませんでした。

そして出社しなくてはならない日の前日の夜は恐怖感から睡眠薬を飲んでもロクに眠る事も出来ませんでした

翌朝フラフラになって出社したものの冷や汗と動悸と震えが止まらず、殆ど仕事など出来ませんでした。

療養のためにやむなく退職

医師にその事を伝えると、「それでは休んでいることにならない。仕事の事は完全に考えないようにしないと症状は改善しない」と告げられました。

しかし、そうはいっても会社がブラックである以上、私の方ではどうする事も出来ません。

散々悩んだ挙句に、私は会社を退職し、病気の治療に専念する事に決めました。

退職後の生活

病気を治療するためには環境を変えて気分をリフレッシュする必要があると思い、会社から電車で一時間ほどの閑静な住宅街に引っ越しました。

のんびりと悠々自適な生活を送ることで、徐々にではありますがうつの症状も改善されていきました。

今でも通院して精神薬と睡眠薬は欠かさず飲んでいますが、落ち着いた日々を過ごしております。

最近になって在宅ワークデビューを果たしました。

いわゆるフリーランスのライティング業なのですが、何とか食べていける分だけは稼ぐことが出来ています。

また、私が勤めていたブラック企業は「悪はいずれ滅びる」と言われるように、その通りになりました。

実は私の退職後に建築業界特有の法律を守らずに営業を行っていた事実が発覚し、国土交通省から行政処分を受け、最終的に倒産しました。

今になって振り返ってみますと、何故もっと早い段階で辞める決断をしなかったのか、何故自分の身体を壊すまで会社に尽くしてしまったのか、という苦い思いが込み上げて来ます。

ブラック企業はすぐ辞めるのが吉

「石の上にも三年」などと言いますが、それは昔の話です。

今の時代は、ブラック企業が社会を未だ知らない若者を自分の手中に引き摺り込もうと手ぐすねを引いて眼をギラつかせている時代です。

国の政策でもようやく、ブラック企業を撲滅しようという動きが見られ始めましたが、国の動きはどんな分野でも緩慢です。

この国の政策は非常に重要ですが、やはり一番大事なことは私達一人ひとりが、ブラック企業と関わらないこと、ブラック企業を許さないことです。

また既にブラック企業にお勤めになっておられるならば、明日にでも一度最寄りの労基署に相談なさって下さい。

たとえそれが直接の解決に結び付かなくても、閉ざされた世界に他者の視点が介入することで、ハッと気づく事がきっとあることでしょう。

私のように、心身が崩壊してからでは遅いのですから。

ちなみに労基署を含めたブラック企業の悪行に対する相談先についてはこちらのページでまとめられておりますので、よろしければ目を通してみてくださいね。

主なブラック企業の相談先一覧

現在31歳の現役のサラリーマン

一流と言われる私立大学を卒業しながらも新卒の就職活動に失敗してブラック企業に入社。

入社後には尋常ではない陰湿なパワハラの被害に遭い、嫌気がさして1年弱で退社して無職に。職歴のブランクあり、スキル無し、コネなしという状況で就職先が見つからず、スキルを身に付けるべくベンチャー企業(実態はスーパーブラック企業)にアルバイトとして入社。

2社目のベンチャー企業という異名を持つブラック企業はパワハラはないものの、激務・薄給(時給換算で500円以下)と典型的なブラック企業でしたが、その会社でWEB制作の技術を学び、その経験から現在の会社(非ブラックな中小企業)に引き抜かれました。

これまでの経験からブラック企業の実態、転職活動のコツ、無職並びにフリーターの就職活動周りに非常に精通しているので、こういった内容のコンテンツを随時配信していきます。なお、自身の過去の経験から労務問題には興味を持ち、隙間時間で社労士の資格勉強にも着手中。

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