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「残業を奨励する会社のやばさ」

慢性的に人手不足のブラック企業でよく実施されるのがサービス残業の推奨。

このサービス残業の推奨というのは、残業代は出さないにも関わらず、定時以外の時間も会社に捧げることを推奨することを意味します。要するにあなたの時間を無料で、会社に提供しろ、と言っているのです。

もちろん、このサービス残業はどの会社もある程度あるので、多少なら仕方ないのですが、ブラック企業が求めるサービス残業の時間は洒落になりません。

なぜなら、社員のサービス残業を前提に業務を回しているので社員が自主的な残業をしないと回らない社内体制になっているからです。

こういった真のブラック企業の現場がどんなものなのかをご理解頂くためにこのページでは、管理人の友人で「サービス残業を奨励し、定時帰りを悪とする」究極のブラック企業で3年以上働いていた男の体験談をご紹介します。

最悪な会社に入社した経緯

私は栄養士、管理栄養士養成コースの大学でした。そのため、とりあえず栄養士か管理栄養士として働きたいと思い、手あたり次第受験しました。

しかし、委託給食会社以外全部落ち、委託給食会社も1つを除いて全部落ちました。受かったところは、大学の教授から「絶対にやめておいた方がいい」と言われました。

ですが内定が出たのが夏ごろであり、「内定を受理したのに断るのは会社に失礼だ」と思ったことに加えて、「このまま就職活動を続けるのが面倒くさい」と思い、その会社に入社することにしました。

今思えば、ギリギリまで就職活動をしておけばよかったと思います。

職場の実態

はじめは忙しいけれどもいい人が多く、楽しい職場でした

ただし、やっている仕事はパートの方と同じような業務でしたし、人も足りていたので定時に帰ることができました。意外かもしれませんが、私が入社したばかりのころはなかなかのホワイト企業でした。

それから徐々に栄養士としての仕事も任されるようになってからも、人が十分にいたので定時を過ぎることがあっても深夜まで残ることはありませんでした。

それに就業開始時刻より早めに来て、現場を手伝い、就業終了時刻より長く残って現場を手伝うと上司に褒められたり、パートの方に感謝されたりするので、それが嬉しくて毎日2時間程度サービス残業をしていました。

ある意味社畜根性満点のサラリーマンでした。今思えば本当に「純粋な馬鹿」だったと思います。

時間外労働が正義の社風

最初は楽しい職場でしたが、私が入社した1年後にいっきに人が辞め、人手が足りなくなりました。その結果、早出から最後まで(朝5時から夕方過ぎの20時まで)残らなければならない日が増えました。

しかも、事務だけでなく調理現場の人数も足りないので、日勤、遅出の時は夕食の配膳が終るまでは調理や盛り付けまで手伝うことになりました。その結果として発注などの自分の仕事は夕食を出してからという日が続きました。

早出の時は5時から14時なのですが、14時までは現場の手伝いが主で、14時になってから自分の事務仕事に取り組むことになり、自分の仕事が終わるのは深夜になることも珍しくありませんでした

これは明らかに人が辞めても補充をしない会社の責任なのですが、会社は人を補充しない代わりに今のメンバーの稼働率を上げることを選びました。

その結果として、定時に来て定時に帰る人に冷たい社風でした。残業が求められるので、「それでは残業代をよこせ」というと、「お前の仕事が遅いからだ、もっと効率よく働け」と言われます。

確かに効率性は大事ですが、効率を上げるだけでは対処ができないレベルであり、どう見ても人が足りない環境でした。

退職の意を伝える

このままでは、人が増える事は永久にないし、自分が苦しくなるだけだと思い、「6月頃を目安に退職したい」と上司に伝えました。伝えた時期は、入社3年目の4月です。

突然の辞任の意だったのですが、上司は渋々ながら了承してくれたので、辞めるまでの期間はきちんと働くことを決めました。

退職前にタスクが激増する

辞めることを伝えた後は本当に悲惨でした。一度「辞める」と言ってしまった以上、周りの目は冷たくなりましたし、突然先輩が抱えていた仕事の処理を担当させられました。

なんでやめる人間にこの仕事を回すのだろう、後輩に引き継いだ方が効率的なのにと思いました。しかし、頑張るしかありません。

ちなみに、私がしていた仕事は後輩に引き継ぎました、しかし、先輩から引き継いだ仕事は私がやっていた仕事より時間がかかります。

しかも、後輩に引き継いだ仕事のチェックは私で、後輩のミスも多く、そのミスの指摘は私に来て、どんどん仕事が増えていきました。

そのころから、1人になると涙が出ることが増えました。夜の厨房や、パソコンの前で仕事をしながら号泣することも珍しくありませんでした。

そのことを先輩に相談すると「みんないっしょだよ、ガンバレ」で終わりです。上司や先輩が「早く帰りやー」と言いますが、「じゃああなたが私の仕事をしてください」、という気分でした。

実家に帰る機会が増える

そして、先輩が異動するという話が出ます。ただでさえ人が足りない上にさらに人を減らすのかという怒りしかありませんでした。

結局先輩は異動しませんでしたが、もし異動すれば完全なキャパオーバーになります。むろん、ただでさえもうキャパオーバーでしたが・・・。

また、後輩が寝坊した日があったのですが、後輩に連絡しても出なかったとのことで、私に連絡が来たようです。しかし私は携帯の電源が切れており、電話に出ることができませんでした。

すると、出勤してからものすごく怒られました。「Tさん(先輩)ももうすぐ異動するし、Oちゃん(私)がしっかりしなければ困る!!」とめちゃくちゃ言われました。

もう、パートさんにすら不信感が湧いてきました

段々と心が壊れてくる

このころから、職場へ近づくと涙が出たり、吐き気が止まらないという不調が現れてきました。パートさんの前ではなんとか明るく振舞えていたと思いますが、気分の波が激しく、時折指が震えたりもしました。

完全にうつ病の初期症状が出ていました。私が半分なりかけていたうつ病の代表的な症状が気になりましたらこちらのページをどうぞ。

心のかぜの代表的な症状とは?

少し私の不幸自慢が長くなりましたが、当時の私は心身共々限界でした。その結果としていつもなら実家に帰るのは月に1回程度でしたが、精神的に追い込まれていた退職直前期は毎週帰宅していました。

母の助言で会社を辞めることに

そんなこんなで心身が疲弊していたある日、仕事終わりにアパートに戻ると母がいました。

「どうしたの?」と聞くと、「もう、あんた仕事やめなよ。病気になるで、というかもうなっているし」といいました。

私は「え、でも来年度の6月までやると言っちゃったし・・・」と言ったところ、「そんなこと言っている場合か!!」と母に一喝されました。

その言葉で、「それもそうだな。」と思い、その週の休日に心療内科に行き、退職すべきという診断書を書いてもらいました。そしてその診断書と退職届を持って、「もう無理です」と言って4月半ばに強引に退職しました。

本当にたくさんの人に迷惑をかけたと思います。私がいなくなった分、後輩や先輩がたいへんになるのは目に見えています。

正直な話、円満に退職したかったですが、あの時の状況を考えると仕方がなかったかなと思います。そして、はっきりいって退職してよかったです。

私は辞めてせいせいしていますが、私のことを酷使した会社が今どうなったかというと、仕事が回らなくなり、倒産したようです。

この話は、同じ会社に勤めていた友人に聞きました。もちろん会社が潰れたのでその友人も、今では私の前職を辞めております。

正直な話、前職は「サービス残業」という人の善意で回っている職場だったので、人が続かなくなるのは当然だと思います。

私の前職は最悪の会社でしたが、前職に勤めていて本当に良かったことが1つだけあります。それは初めて勤めた会社の労働条件が悪すぎて、普通の会社が天国に思えることです。

そう思えるだけでも超絶なブラック企業であって前職で働いた経験は無駄ではなかったと思います。もう2度とあんなブラック企業では働きたくないですけどね

ちなみにこの体験談では取り上げきれなかったブラック企業関連の諸情報についてはこちらのページでまとめておりますので、ブラック企業に関してもっと詳しくなりたいのでしたら目を通してみてください。

詳しくはこちらから

現在31歳の現役のサラリーマン

一流と言われる私立大学を卒業しながらも新卒の就職活動に失敗してブラック企業に入社。

入社後には尋常ではない陰湿なパワハラの被害に遭い、嫌気がさして1年弱で退社して無職に。職歴のブランクあり、スキル無し、コネなしという状況で就職先が見つからず、スキルを身に付けるべくベンチャー企業(実態はスーパーブラック企業)にアルバイトとして入社。

2社目のベンチャー企業という異名を持つブラック企業はパワハラはないものの、激務・薄給(時給換算で500円以下)と典型的なブラック企業でしたが、その会社でWEB制作の技術を学び、その経験から現在の会社(非ブラックな中小企業)に引き抜かれました。

これまでの経験からブラック企業の実態、転職活動のコツ、無職並びにフリーターの就職活動周りに非常に精通しているので、こういった内容のコンテンツを随時配信していきます。なお、自身の過去の経験から労務問題には興味を持ち、隙間時間で社労士の資格勉強にも着手中。

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