

超絶激務のブラック企業の現場とは?
今のあなたは、ブラック企業と単語を目にするとどんな会社をご想像されますでしょうか?
おそらく、勤務時間が無駄に長い、上司からの無茶ぶりが多い、給料が安すぎる、社内いじめがある、といった会社を思い浮かべるのではないのでしょうか?
これらは大抵のブラック企業の現場で行われていることですが、実際にブラック企業で勤務した経験がないとブラック企業の現場のリアルなイメージはいまひとつ出来ないかもしれません。
そこでこのページではブラック企業の現場の実態をご理解頂くために、ブラック企業で勤務した経験を持つ管理人の友人(男性)の体験談をご紹介します。
彼の体験談に目を通せば、ブラック企業と呼ばれる会社がどの程度社員を酷使するのかが良くわかります。
この会社に入社した経緯
私は昔から、自衛隊員になるのが夢だったので人生で2度自衛隊の試験を受けました。
1回目は高校生の時であり、1次試験を合格し、無事に2次試験にまで進みました。しかし、2次試験の面接は私の中では100点満点の出来だったのですが、結果はなぜか不合格でした。
ものすごく落ち込みましたが、今度こそはと、高校卒業してからもう1度受けました。こちらもまさかの不合格でした。
2度も落ちた私は、再度受ける気力をなくし、引きこもってしまいました。今後どうすれば良いのか分からなくなり、迷走していたところ、父親に、とりあえず働きな、と言われて仕事を探しました。
そこで、目に入ったのが食品の仕分けをする倉庫でした。私はそこに応募して、面接を受けたところ、無事に採用され、週6日、16時から作業が終わるまでの契約で働くことになりました。
倉庫の中で必死に働く
16時に出勤して、400~500種類ある食品を各店舗へ振り分ける生活が始まりました。作業自体は、簡単でしたが、店舗への納品時間が決まっていたため、特売の日などは大変でした。
それでも頑張って作業していると、周りから信頼されるようになりました。皆さんの期待に応えられるように、必死に作業をこなしました。
最初の頃は、店舗数も物量も少なかったので少人数でも対応することは不可能ではありませんでした。しかし、だんだん店舗数が増えていき、物量が多くなっていくうちに作業終了時間が遅くなっていきました。
最初は良かったのですが、日に日に疲れがたまっていきました。さらには、上司も期待からか、3人でやる物量を1人で任せるようになってきました。
今思うと、あいつならやるだろうと周りに思われていて、めんどくさい作業を私に押しつけていただけだと思います。
そんな中でも私は、「社会人はこれが普通なんだ」、と思って頑張っていました。その結果として腰が痛くても、誰にも文句一つ言わずに作業を続けました。
1日の平均労働時間は12時間
店舗数が増えて物量が多くなっていくごとに、作業の終了時間が遅くなっていきました。そその結果として、1日12時間労働が当たり前になっていきました。
そのため、やめる人も出てきました。最初は人数が足りない分、派遣やアルバイトを雇ってくれると思っていました。
しかし、そんなことはありませんでした。私の部署は、赤字の部署でした。赤字のため、所長が人を入れてくることはありませんでした。
「いる奴らにやらせろ。今までも、少人数で回していたんだから、できるだろ。」
現場を見ていないからそんなことが言えるんだと思いました。それでも、上司の人の命令は、絶対なので「分かりました」としか言えませんでしたが、当時の作業人数でこなせる物量ではないことは明らかでした。
このような人手不足の状況が続いたので、作業をしている人達の不満がたまっていき、愚痴をこぼしながら作業をする人が増えてきました。当然、社内の士気はダダ下がりです。
作業の遅延で社内が混乱
人で不足で社内業務が全く回っていないある日、大きな事件が起きました。その事件というのは、作業の大遅延。毎日多少の遅延はありましたが、その日の作業遅延はなんと、12時間以上でした。
その結果、その日に出勤したメンバーは、24時間労働を課されたのです。流石にこれには腹が立ち、出勤したメンバー全員で抗議をしました。
すると、このことがきっかけとなり、所長の上の人達が動き出し、人員の増員が決まりました。そこから続々と新人が増えてきました。
増員はうれしかったですが、新人のほとんどは未経験者だったので、1から仕事を教えなくてはいけなく、これはなかなか大変でした。しかも新人の仕事は粗く、破損や仕分けミスが増えました。
それが原因で私はとうとう愚痴をこぼしました。
今までは耐えていたのですが、我慢の限界でした。愚痴といっても、些細なことでした。しかし、その後ふと倉庫を歩いていると、私への愚痴を話す声が聞こえました。
- 「生意気だな。」
- 「やめればいいのに。」
そんな声がしました。泣きそうでした。頑張ってやってきたのに、そんなことを言われているのを聞いて、傷つきました。皆のために、頑張ってきた日々を否定されたようなきもちでした。
上司と喧嘩して、退職
働き始めてから、1年が経過した時に責任者の吉田さんと口論になりました。この吉田さんとは、普段はよく話をしたり、ご飯を食べに行ったりもしていたので、決して仲が悪かったわけではありません。
しかし、作業方針についてはお互い意見が分かれました。吉田さんの考え方は、人をたくさん入れて、作業を早く終わらせる方法でした。早く終わらせることは一緒だったのですが、人数やその配置については、違う意見でした。
しかし、吉田さんのほうが立場が上で、自分の考えを否定されると、不機嫌になる性格だったので、反論はしませんでしたが、不満は残りました。そこである日、私は吉田さんの作業方針に関して一緒に休憩をしていた人に、愚痴をもらしました。
それから数日後、作業中に、吉田さんに呼ばれました。なんだろうと思っていると、吉田さんが不機嫌な顔で言いました。
「お前、俺の悪口言ってるだろ。」
あの時言った愚痴のことが、吉田さんに伝わっていました。驚いて、話せませんでした。
「全部知ってんだぞ。お前が俺の悪口言ってるのは。」
私が、言ってもないことも私が言ったかのように、吉田さんに伝わっていました。私は、この会社に嫌気がさしました。
「言ってたら悪いんですか。あなたも、人の悪口を私に言ってきますよね。あなたは良くて、私はわるいんですか。」
「なんだお前、その口の利き方は。」
吉田さんは、私の胸ぐらをつかんで、今にも殴りかかってきそうでした。
「もうお前やめろ。」
「あなたに言われなくてもやめます。」
そう言って、車に向かい帰宅しました。それが私の最終出勤日でした。
辞めてよかった
吉田さんとの口論の数日後、退職するために必要な書類を書くために職場に向かいました。その時は幸か不幸か吉田さんと会うことはありませんでした。
もう既にその会社に対する忠誠心は尽きていたので、副所長に軽い挨拶をして、職場を後にしました。
今思えば、ひどいやめ方だったと思いますが、あそこをやめられたので、結果オーライだと思っています。お世話になった人達には、電話やメールをして別れの挨拶と感謝を伝えました。
つらい日々でしたが、良い経験だったと思います。二度と、あそこでは働きたくありません。

現在31歳の現役のサラリーマン
一流と言われる私立大学を卒業しながらも新卒の就職活動に失敗してブラック企業に入社。
入社後には尋常ではない陰湿なパワハラの被害に遭い、嫌気がさして1年弱で退社して無職に。職歴のブランクあり、スキル無し、コネなしという状況で就職先が見つからず、スキルを身に付けるべくベンチャー企業(実態はスーパーブラック企業)にアルバイトとして入社。
2社目のベンチャー企業という異名を持つブラック企業はパワハラはないものの、激務・薄給(時給換算で500円以下)と典型的なブラック企業でしたが、その会社でWEB制作の技術を学び、その経験から現在の会社(非ブラックな中小企業)に引き抜かれました。
これまでの経験からブラック企業の実態、転職活動のコツ、無職並びにフリーターの就職活動周りに非常に精通しているので、こういった内容のコンテンツを随時配信していきます。なお、自身の過去の経験から労務問題には興味を持ち、隙間時間で社労士の資格勉強にも着手中。
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